|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 尊 : [みこと] 【名詞】 1. (1) lord 2. prince 3. (2) words of a ruler ・ 古 : [ふる] 【名詞】 1. used 2. secondhand ・ 古河 : [ふるかわ] (n) old river ・ 河 : [かわ] 【名詞】 1. river 2. stream ・ 市 : [し] 1. (n-suf) city
尊勝院(そんしょういん)は、茨城県古河市本町(二丁目)にある真言宗豊山派の寺院。山号を明王山、寺号を安楽寺、院号を尊勝院という。〔『古河市史 民俗編』824-825頁(尊勝院)〕 古河公方ゆかりの寺院。 ==歴史== 当寺の縁起によれば、足利尊氏の父・貞氏が不動明王を篤く信仰し、その甲斐があって尊氏が生まれたので、不動明王を安置する不動堂を建てたことに始まる。従って、もとは鎌倉にあったが、享徳年間(1452年 - )、初代古河公方・足利成氏に従って、古河に移転した。明応年間(1764年 - )、火災のため、寺の記録・寺宝を失っている。明治初年の廃仏毀釈の際には、住職・順盛が廃仏を逃れるよう祈願し、亡くなるまで塩を断っていたという。順盛は野木町・満願寺境内にある塩断地蔵尊の石仏として祀られている。『明治三 庚午年 より御布告 寺役日誌』によれば、鍛冶町の一乗院、一丁目の正蔵院、天神町の地福院、大堤の正福寺が廃仏毀釈により消滅し、尊勝院に吸収されている。〔『古河市史通史編』192頁(尊勝院)〕 〔 なお明治5年(1872年)、明治政府により「学制」が頒布された際には、一時期、本寺を仮校舎として、町民のための小学校「市街校」が設けられていた。〔『古河市史通史編』621-627頁(近代学校の設立)〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「尊勝院 (古河市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|